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2316) 福島第一原発爆発時の福島県内の放射線量そして現在

1.はじめに

 鑑定コラム2314)で、2021年10月の東京の放射線量は0.03マイクロシーベルト台になっていると述べた。

 2011年3月に生じた福島第一原発の爆発時に大気中に放出された放射線量はどれ程であったか。福島県内の各地で観測された放射線量について述べる。

2.所在等

 福島第一原子力発電所は、福島県の太平洋沿岸のほぼ中央、双葉郡大熊町に、東京電力が原子力発電1号機から4号機を設けていた。

 2011年3月11日14時46分、岩手県沖から茨城県沖の広い範囲を震源地として、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生した。この地震は日本で発生観測された地震の中で過去最大の地震である。

 この地震によって津波が発生した。その津波が福島第一原子力発電所の原子力発電機1号機〜4号機を襲った。

 その後の状況は、2014年9月17日に行われた日本学術会議総合工学委員会の原子力事故対応分科会の公開シンポジュウムで発表された報告書内容を引用する。

3.事故の大まかな経緯

 以下事故の大まかな経緯を記す。

 これは、前記日本学術会議原子力事故対応分科会の公開シンポジュウムで、「東京電力福島第一原子力発電所において発生した 事故事象の検討(その2)」の課題で、白鳥正樹教授(日本学術会議連携会員、横浜国立大学名誉教授、同安心・安全の科学研究教育センター客員教授)が発表された経緯説明からの引用である。
   (https://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/140917b.pdf)

****

      
3月11日
・14:46以前:定格出力運転中
・14:46:地震発生:スクラム、外部交流電源喪失、非常用D/G自動起動

 炉心冷却開始(原子炉隔離時冷却系(RCIC)が作動:手動により弁を開く)
・15:37ごろ:津波襲来
・15:42ごろ:全電源喪失:実際にはRCICが作動し冷却が継続した(約70時間)が、現場ではこれが確認できず、かなりの危機感をもっていた。

3月12日
・1時〜2時55分:RCIC の作動を確認
・4:30ごろ:RCIC の水源を切り替え(復水貯蔵タンク―>圧力抑制室(S/C))
・15:36:1号機原子炉建屋水素爆発―>2号機復旧作業に影響
・17:30:ベント準備指示

3月13日
・10:15:ベント準備
・18時過ぎ:コンプレッサーの手配
・夕方:2号機も注水ライン完成

3月14日
・11:01:3号機水素爆発、ベントライン、注水ラインがダメージ
・12:00〜14:30:ベントが先か圧力容器減圧が先か議論
・13:25:RCICの機能喪失と判断
・14:43:海水注水の遅れ
・15時ごろ:ドライウェル(D/W)圧力が低下
・16:00ごろ:ベント弁開かず
・16:34分ごろ:主蒸気逃し安全弁(SR弁)開かず
・18:22:燃料棒の全露出を認識
・19:03:ようやくSR弁による原子炉の減圧に成功
・19:20ごろ:消防車燃料切れ
・19:57:2号機への連続注水開始、しかし不安定
・23:35ごろ:D/Wベント実施を決定

3月15日
・0:16〜1:11ごろ:格納容器圧力上昇による危機的状況
・6:00〜6:10:大きな衝撃音(実際には6:14)

****


 上記より、原子力発電機爆発の経緯をまとめると下記である。

 2011年3月11日 15:37頃  津波襲来
 2011年3月12日 15:36 1号機水素爆発
 2011年3月14日 11:01 3号機水素爆発
 2011年3月15日 6:14 大きな衝撃音

 3月15日 6:14の「大きな衝撃音」が4号機の水素爆発である。

 4号機はその時稼働停止中であり、核燃料棒は抜き取られていたが、1〜3号機で発生していた水素が溜まり大爆発を起こした。

4.原発爆発による放射線量

 上記の原子力発電機の停止に伴う水素爆発の時系列が分かった。

 これに伴う発電所周辺及び福島県内の放射線量について、福島県が発表している放射線量は次のごとくの数値である。

 東京新宿の0.8マイクロシーベルトの数値どころでは無い。驚くべき数値である。単位マイクロシーベルトである。マイクログレイに同じ。

  2011年3月12日 20:00    南相馬市相双   17.08マイクロシーベルト
                  21:00         〃           20.00

  2011年3月15日  2:00  いわき市平    18.04  4:00 〃 23.72
13:15  白河市       4.04  13:30 〃 5.02
14:05  郡山市       8.26
16:40  福島市 13.58 18:40 〃 24.24 23:20 〃 23.90

 2011年3月12日には南相馬市で20.00マイクロシーベルト、3月15日にはいわき市で23.72マイクロシーベルト、白河市で5.02マイクロシーベルト、郡山市で8.26マイクロシーベルト、福島市で24.24マイクロシーベルトという高濃度の放射線が検出された。

 この3月15日の東京新宿では、0.8マイクロシーベルトが検出されている。

 東京では、0.8マイクロシーベルトで大騒ぎしていたが、南相馬市、いわき市、福島市はその程度の放射線量では無かった。人体に影響を及ぼす放射線量が大気中に放出されていた。

 福島原発爆発によって大気中の放出された放射線量の最大値を、上記都市ごとにグラフ化したのが下図である。




福島原発爆発放出最大放射線量




5.現在の福島県内の放射線量 2021年10月19日

 福島県の調査発表による2021年10月19日0時における福島県内の放射線量は、下記である。単位は前記と同じである。現在の放射線量は、地球が持っている自然発生の放射線量になっている。

     福島市    0.12マイクロシーベルト
          郡山市    0.07
     白河市    0.06
     会津若松市  0.05
     南会津市   0.04
     南相馬市   0.06
     いわき市   0.06

6.福島県の不動産鑑定士の働き

 福島原発爆発によって大気中に放出された放射線量による人体の影響、経済への影響がどれ程あるのかを身近に知るには、先ず当該場所の放射線量がどれ程あるか知ることである。

 土地価格に放射線量が影響を与えるかどうか知るには、その土地の放射線量がどれ程かを先ず知っていなくては話は進まない。

 福島県の不動産鑑定士は、2011年7月時点の基準地の価格を査定するために、基準地の放射線量はどれ程か調べた。

 炎天下汗をかきながら福島県内にある福島県基準地480個所の全地点の放射能の線量を測定した。

 その行為には頭が下がる。

 この事については、鑑定コム789)「「戻ってこれる福島に!」炎天下、福島の不動産鑑定士放射能を測定中」で記してある。

 多くの不動産鑑定士が調査に参加されたのであるが、その中から4人の不動産鑑定士の生々しい言葉が記述されている。

   1.「放射線測定スタート!」 (不動産鑑定士 石田英之)

   2.「県北地区120地点の放射線量測定終了」 (不動産鑑定士 岩城 恭子)

   3.「夏休み前に」 ( 不動産鑑定士 岩渕大毅)

   4.「戻ってこれる福島に!」 (不動産鑑定士 遠藤 盛英)

 是非読んで下さい。下記鑑定コラム789)をクリックすれば繋がります。

 適正な基準地の土地価格を求めようと放射線量を計る福島県の不動産鑑定士の評価姿勢と比較して、道路を挟んで反対側の至近にある東京都基準地価格を全く無視して、その基準地価格の3%の土地価格が適正と主張している東京晴海のオリンピック選手村の土地評価を行った東京の不動産鑑定士は、基準地価格を蔑(ないがし)ろにする評価姿勢ではなかろうか。

 土地評価に対する姿勢には雲泥の差がある。

 晴海選手村土地を評価した東京の不動産鑑定士に、福島県の不動産鑑定士の姿勢を見習えと云いたくなる。

 そして、放射線量を調べて基準地価格を求めようとした福島県の不動産鑑定士の姿勢を改めて称賛したい。


  鑑定コラム789) 「「戻ってこれる福島に!」炎天下、福島の不動産鑑定士放射能を測定中」
 
  鑑定コラム783)「福島県の不動産鑑定士の団体は良いことをしている」

  鑑定コラム1982)「外務省放射線で動く」

  鑑定コラム2314)「東京新宿の放射線量は0.03マイクロシーベルト台になっている 2021年10月」


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