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2633) 応援歌 「若き血」

 2023年8月23日、第105回全国高等学校野球選手権大会は、第2回大会(1916年)に優勝した慶応校が、連覇を狙う仙台育英校を8対2で破り、107年振りに2度目の優勝を果たした。

 先攻の慶応校の1番打者の丸田湊斗外野手(3年)が、試合が始まったばかりの5球目で先頭打者本塁打を放った。

 この先制点は、ベンチの慶応校の選手に、行けるのでは無かろうかという心理的優位性を与えたのでは無かろうか。

 テレビで見ていた私は、先頭打者のいきなりのホームランにびっくりした。

 甲子園スタンドの応援の多さにも驚く。応援団が肩を組み唄う歌が聞こえる。

 応援歌である。
 
♪♪
 若き血に燃ゆる者  光輝みてる我等
 希望の明星 仰ぎて此処に
 勝利に進む我が力  常に新し
 見よ精鋭の集う処  烈日の意気高らかに
 遮る雲なきを
 慶應 慶應
 陸の王者 慶應 ♪♪

 堀内敬三 作詞・作曲の「若き血」である。

 懐かしい。テレビから流れるかすかな音曲につられて口ずさんだ。

 岐阜県の東はずれにあった今は中津川市に合併されてしまった小さな田舎町の坂下中学3年生の時に、運動会の応援で歌った曲の一つである。

 中学校以来、何十年振りかに口ずさむ歌である。

 この他に、早稲田大学の『紺碧の空』そして、旧制第四高等学校の『南下軍』、『北の都に秋たけて』が、応援歌であった。

 何故、田舎の中学の運動会で旧制高等学校の応援歌が唄われたかと云えば、その中学校の数学の先生に、旧制第八高等学校を卒業し、何故か東京帝国大学に行かずに、新制中学校の先生になった人がいた。

 その先生は、名古屋の旧制第八高等学校の応援団長をしていて、八の運動部が対外試合に行く時には、常に共に行動し応援歌を唄い応援していたという。

 四との対抗戦で金沢に行くと、金沢駅の駅頭で、迎えに来てくれた四の応援団に対して、エール交換として「南下軍」の歌をよく唄ったと語られていた。

 その数学の先生の名前は、石垣明という名前の先生であった。

 私達に応援の仕方、そして応援歌を教えて下さった。

 それが、慶応の「若き血」であり、早稲田の「紺碧の空」であり、旧制第四高等学校の「南下軍」、「北の都に秋たけて」である。

 何故か八の応援歌は無かった。教えられたならば覚えて居る筈であるが、覚えていないところを見ると、教えられなかったのではなかろうか。
 
 慶応校の甲子園決勝戦で、図らずも「若き血」の応援歌のメロディを聞き、古き昔を想い出させてくれた。

 早稲田の「紺碧の空」は、慶応の「若き血」に似かよったところがある。

 作詞 住 治夫、作曲 古関裕而である。

♪♪
 紺碧の空 仰ぐ日輪
 光輝あまねき伝統のもと
 すぐりし精鋭 闘志は燃えて
 理想の王座を占むる者 われ等
 早稲田 早稲田
 覇者 覇者 早稲田 ♪♪

 賃料を中心にして、新しい考え方の不動産鑑定評価、正しい不動産鑑定評価論を教える田原塾は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、現在休塾している。

 田原塾の男性の幹事2人は勿論不動産鑑定士であり、2人とも慶応義塾大学卒業である。一人は大学から慶應義塾生になったが、一人は慶應普通部から慶應義塾高等学校、慶應義塾大学へと進んだ、いわゆる「慶應ボーイ」である。

 田原塾で世話になっている慶応義塾生の田原塾幹事の二人に、「慶應校の甲子園優勝おめでとう」のメールを送った。

 夜、返事のメールが写真付きで送られてきた。

 「今、飲んでます。」の短い言葉が添えて、二人の酔っぱらった顔を自撮りした写真入りのメールが届いた。

 届いたメールの写真を見て、私は笑ってしまった。


  鑑定コラム2635)
「カラオケ店 「慶應応援歌「若き血」を歌おう」の幟を店頭に掲げてみては」

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