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1406)上高地の観光客が減っている

 2015年10月下旬、標高1500メートルの上高地は、紅葉の秋真っ盛りである。

 上高地五千尺ホテルのライブカメラで見る今日(2015年10月23日)の上高地は、快晴である。

 穂高岳連峰がはっきりと見える。

 穂高の頂上には雪は無い。

 ライブカメラには、梓川に架かる河童橋から穂高の山々を眺める人が絶えること無く映し出される。

 今日も上高地は賑やかだ。

 仕事に疲れた時、私はパソコンのお気に入りに入れている上高地五千尺ホテルがサービスしている上高地ライブカメラのキーをクリックし、ライブカメラで写される河童橋から見える穂高の山の現在を見て、しばらくの時を過ごすことがある。

 アドレスは、下記である。但し夜は真っ暗闇が写るのみです。

     
http://www.gosenjaku.co.jp/livecam/

 「今日は、穂高に雲がかかっていて、見えないのか。」

という日は、気が少し落ち込む。

 「穂高が見える。山は快晴だ。」

という日は、気分も明るくなる。

 不思議なものである。

 上高地は、日本アルプス最高の秀逸の山岳風景の他に、春は新緑、夏は避暑、秋は紅葉と、季節ごとの自然の移り変わりを楽しむことが出来、毎年200万人の観光客が訪れると思っていた。

 200万人の観光客は20年前の事で、現在は観光客はどんどん減っていると云う。

 そんな事は無いだろうと思ったが、事実減っているようである。

 ピークの1995年は、206.2万人であった。

 2014年は、127.8万人である。

          127.8
                ────── = 0.62                               
                    206.2

 ▲38%の減少である。

 大変な観光客の減少である。

 具体的に数値を示す。1997年までは、旧安曇村(現在は松本市に合併)の資料、1998年以降は、長野県が発表している『平成26年観光地利用者統計調査結果』による。

    1987年(昭和62年)     1,407千人
    1989年(平成元年)     1,621千人
    1991年(平成3年)      1,797千人
    1993年(平成5年)      1,774千人
    1995年(平成7年)      2,062千人
    1997年(平成9年)      1,958千人
    1998年(平成10年)      1,909,100人
    1999年(平成11年)      1,784,900人
    2000年(平成12年)      1,988,700人
    2001年(平成13年)      1,931,100人
    2002年(平成14年)      1,904,300人
    2003年(平成15年)      1,924,800人
    2004年(平成16年)      1,546,300人
    2005年(平成17年)      1,448,300人
    2006年(平成18年)      1,542,900人
    2007年(平成19年)      1,549,700人
    2008年(平成20年)      1,547,100人
    2009年(平成21年)      1,307,300人
    2010年(平成22年)      1,423,500人
    2011年(平成23年)      1,300,900人
    2012年(平成24年)      1,373,800人
    2013年(平成25年)      1,384,500人
    2014年(平成26年)      1,278,800人

 2004年(平成16年)に、前年度が192万人であるのに154万人と大巾減少したのは、上高地への観光バス乗り入れ規制されたことによるものと思われる。マイカーは通年乗り入れ禁止である。

 2009年(平成21年)に、前年度が154万人であるのに130万人と減少したのは、リーマン・ブラザーズの倒産による影響と思われる。

 昨年(2014年)は、前年が138万人であるのに127万人と10万人の減少である。

 日本のあちこちの観光地には、中国人観光客があふれかえり、前年比の倍という観光地もある。ホテルの客室稼働率は、前年稼働率と較べて大巾に改善されている。

 上高地の観光客は減少している。

 上高地の自然の美しさが変わったと云うことは無い。

 それにも係わらず、上高地の観光客は減少している。

 どうしてであろうか。

 今頃は、梓川沿に長く続くカラマツ林の松葉が、黄色から橙色に変わり、風が吹くたびに松葉が落ちているであろう。

 梓川のせせらぎの音を聞き、穂高岳を仰ぎ、オレンジ色に紅葉したカラマツ林の下を歩く心地良さは格別である。これぞ上高地の秋である。



****追記 2015年10月27日 上高地帝国ホテル  鑑定コラム564)より

 夏真っ盛りである。
 若い頃、穂高岳や槍ヶ岳に登るために上高地を通過する時、から松林の上に見える赤い屋根の夏の間だけ営業する帝国ホテルが、松本電鉄のバスの窓からよく目についた。

 そのホテルは立地といい、品位といい日本の最高の山岳リゾートホテルである。

 テントとシュラフのねぐらでなく、いつの日か一度は、上高地帝国ホテルに泊まってみたいと思った。

 憧れであった。その憧れは未だ実現出来ていない。価格が高すぎて、とても手が届かない。

 上高地帝国ホテルのホームページに紹介されている奥穂高岳をバックにした赤い屋根の上高地帝国ホテルの建物は、下記のアドレスをクリックすれば見られます。 当初建物設計は高橋貞太郎氏で、1977年に、開業当初の高橋貞太郎氏設計の外観を忠実に再現しながら、建て直しされたと聞く。
 
      http://www.imperialhotel.co.jp/j/kamikochi/index.html

         (鑑定コラム564より抜粋転載)



  鑑定コラム350) 「上高地」

  鑑定コラム564) 「2009年ホテル業界に何が起こっているのか」


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