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1512)美男におはす 夏木立かな

 3年振りに中学のクラス同窓会に出席した。

 クラス同窓会は、鎌倉・江ノ島の由緒ある旅館で開かれた。

 参加者は男性6人、女性6人の12人である。

 江ノ島で故郷のクラス同窓会が開かれると云うことになれば、東京に住んでいる者にとっては、出席しなければならないであろう。

 仕事は暇では無い。

 大学は夏休みに入り講義の準備をすることなく、その心配は無いが、不動産鑑定書提出の期日の来ているものもある。提出予定期日が直近に迫っている案件もある。

 代理人弁護士からは、以前出した鑑定書に対する意見書が出され、それの反論書を出してくれとせっつかれている案件もある。

 北海道の札幌からは、依頼があるのかどうか分からないが、家賃鑑定料の見積書を出して欲しいと頼まれている。

 出版社からは、『賃料<地代・家賃>評価の実際』の改定版のその後の原稿はどうなっているのか書き上げて欲しいと云われ、そして一部ゲラ刷り原稿の校正を早く済ませてくれと、何度も催促されている。

 同窓会の出席のために2日間をあてることは、少し影響が大きいが、出席することにした。

 故郷坂下から3人、中津川から1人 名古屋市から1人、名古屋周辺市から4人(岐阜県羽島市、土岐市、愛知県一宮市、江南市)、東京1人、埼玉1人そして鳥取1人である。

 鳥取から江ノ島まで、交通費は一体いくらかかるのであろうか。時間も半端ではない。参加されることに頭が下がる。

 常連でいつも参加される5人の方々が、今回は体が具合悪い等で不参加である。

 宴がはじまり、参加者からいろんな話を聞いたが、その中で、3つの中学校が統合されて一つになったと云うことが心痛めた。

 旧坂下町の坂下中学、旧川上村の川上中学、旧長野県山口村の山口中学が、一つの中学校に統合された。

 統合の中学は坂下中学になったということである。

 旧坂下に住んでいる人々は、同じ坂下中学で不便さは感じないが、旧川上村、旧山口村の人々は、坂下中学に通うには、その距離は半端な距離ではないことから,大変な不便さを感じているのではなかろうか。

 通学のバスが用意されているのであろうか。

 これらは、平成の市町村の合併に伴い、中津川市に合併したことによるものである。

 故郷の町の状況を聞けば、町を出て行った若者は戻ってこず、取り立てて云える程の産業も無く、人口は減り、老人ばかりの町になってしまい、この先どうなるのであろうか心配であると云う。

 30年後には、田畑は雑木林が生え、山林にもどっているのでは無いかと30年後の姿を予測して云う。

 日本全国の地方山間の町は、こうした町ばかりでは無かろうかと云う。

 翌日は、鎌倉大佛様をみると云うことで、江ノ島から鎌倉駅行きのバスに乗った。35度を超える真夏日になると、朝のテレビは云っていた。そして熱中症に注意して下さいとも云っていた。水分補給し、注意して日影を選んで歩こう。

 バスは、海岸沿を走るのかなと思ったら、陸地の高台を登り始めた。

 何処へ行くのであろうかと思ったら、鎌倉山の高級分譲住宅地を通って鎌倉大仏前のバス停で停まってくれた。

 大佛様の境内は、修学旅行の中学生、社会見学の小学生で一杯であった。

 次々と小中学生が詰めかける。

 修学旅行のコースである。

 同窓会の参加者の中には教員であった同窓生もおり、その同窓生は、学校の卒業旅行で生徒を連れて何度も来たと云う。

 大佛様のお腹の中に入れると云うので、中に入った。

 急な狭い鉄骨の階段を登る。上を見上げると、丸い空洞が見えた。
 それは首・頭の部分であろう。

 青銅で作られているのか、継ぎ目の生々しい溶接の状況が見られた。

 一体これだけの青銅を何処で手に入れたのか。

 どの様にして大佛様は作られたのであろうか。

 てっきり地上で銅板を作りつなぎ合わせて造ったものと思っていたが、そうではないようだ。

 まず木造で仏像を作る。原型の仏像である。

 それを現在ある大佛の大きさに拡大して、木造で部分毎の大きさのものを作る。その部分ごとの外側部分、内側部分の形とりを粘土で作る。

 地上に土を盛る。そこに銅板の厚さを確保して、外側、内側の粘土型枠を埋め込む。周りを土で固める。

 粘土の型枠の中に青銅の溶液を流し込む。

 再び盛土して粘土の型枠を作り、土に埋め込む。型枠の中に青銅の溶液を流し込む。

 これを上へ上へと7回繰り返す。土の中に埋まった大佛様が出来上がる。

 周りの土を取り除く。

 大佛の中の土は、背中に作った窓から運び出す。

 土を運び出せば完成である。

 背後に廻って大佛様を見た時、背中に2つの窓があり、その窓は、扉が開かれていた。

 何のための窓なのかと思ったが、それは、大佛胎内の土をはき出すために必要な窓であったのだ。

 大佛様の裏手の木立の中に、歌人与謝野晶子の歌碑があった。

 「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」

 大佛様は美男子であると、女性歌人の与謝野晶子は、夏の季節に詠う。大佛様を見るには、夏が最も良いと云うことか。

 境内のあちこちでは、大佛様をバックにして中学生達が、クラス毎に並び記念写真を撮っている。卒業記念アルバム用の写真であろうか。

 大佛前のバス停より、鎌倉駅行きのバスに乗る。

 今度は鶴岡八幡宮にお参りである。

 正に修学旅行コースを行く。

 鎌倉駅広場から左の小町通りの商店街に入る。

 小町通りは懐かしかった。

 20数年前だったか、この通りの店舗の賃料増額争訟事件の賃料評価をした。

 大家と店子が賃料で喧嘩し、折り合いがつかなくなって裁判に持ち込まれ、私が適正な賃料評価をした。

 その店舗はどうしているだろうかと心配したが、店舗の看板が目に入ったとき、安堵した。

 同じビルで同じごとく店舗経営していた。

 上手く経営が続いているようであった。

 4人ほどで小町通りを鶴岡八幡宮に向かっていたが、後を見ると同窓生の連れが来ない。

 何事かと思っていたら、鎌倉駅前の宝くじ店で宝くじを買ってくるようにと家を出る時頼まれたから、その宝くじ売場を捜しているのだと云う。

 何で、岐阜の東濃辺りから出て来て、わざわざ鎌倉駅前の宝くじ売場で宝くじを買わなければならないのかと聞けば、その宝くじ売場から当たりくじが多く出ていると雑誌に出ていたからと云う。
 
 かっての昔はおかっぱ髪したかわいらしい15歳の女生徒であった叔母様達が、今鎌倉駅前で、宝くじ売場は何処だろうと小さな群れをなして捜して居るのである。

 そうであれば、宝くじ売場を見つけ、宝くじを買い終えるまで待とうと、日影を求めて小町通りの店舗の前で、叔母様達を待っていた。

 しかし、叔母様達はなかなか姿を現わしてくれない。

 店舗の中から女性店員が出て来た。
 店の入り口前で、4人も長く立っていてもらっては困ると注意された。2回も注意されてしまった。止むを得ず、違う場所に移動することになった。


 鶴岡八幡宮にお参りした。宝くじの御利益があることを願う。同窓会を江ノ島で開いてくれた幹事に感謝する。


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