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367)瀬波温泉異状なし

 一つの会社が所有する全不動産約30余件の不動産を見て回り、いささかくたびれていた。

 不動産の場所等を案内してくれた人が、
 「田原さん、今日はどこに泊まりですか。」
と聞く。

 今夜の宿泊先きは、まだ決めていなかった。

 「疲れました。近くに温泉があれば、温泉に入ってゆっくりと体を休めたいと思います。良い温泉はありますか。」
と案内人に逆に聞いた。

 案内人は、携帯電話を取り出し、知り合いと思われる旅館に掛け合ってくれた。

 案内人は、自分の運転する車の後について来いと言う。
 私は、借りたレンタカーで案内人の車を追走した。
 結構な時間を走った。

 旅館に着いて、案内人は旅館の支配人に私を紹介し、自分は家に帰るという。
 私は、今日一日、親切に多くの不動産の場所を案内してくれ、且つ旅館まで道案内してくれたお礼を鄭重に述べて、案内人と別れた。

 旅館は日本海に面していた。
 夕陽の沈む前に旅館に着いたので、早速、露天風呂に浸り、ゆっくりと日本海に沈むまばゆいばかりの茜色の太陽を眺めた。夕陽にはどこか寂しさが感じられるが、心洗われる想いも感じられる。
 「夕陽の美しい日本海に面する温泉」という温泉の売りである夕陽の美しさを心静に眺めていた。

 露天風呂の前に大きな平っぺたい丸い石があった。直径2メートルくらいの石である。鏡餅を2メートルの大きさに拡大したような石である。
 「まんじゅう石」と地元では呼ぶらしい。

 温泉を掘り当て、海岸を掘ったら、こうしたまんじゅう石がゴロゴロ出てきたという。

 宿の前には、「晶子の愛し湯とまんじゅう岩」という足湯がある。
 誰でもが足を浸して温泉気分を味わえる施設である。

 「晶子の愛し湯」というから、ひょっとするとあの「君死にたまふことなかれ」の与謝野晶子のことかと思い、宿の人に聞いた。

 宿の人は、
 「その通り」
と言う。

 歌人である与謝野晶子は、この温泉に来たのだという。
 そして、この温泉で一日に45首の歌を詠んだと説明する。

 与謝野晶子は随分とあちこち旅をし、歌を詠んだものだ。
 一日で45首の歌を詠むという、そのエネルギーは相当のものである。

 「みだれ髪」の歌集と「君死にたまふことなかれ」の詩を読んだ高校生の頃の私は、強烈な印象を受けた。

 戦争に行く弟を想う姉の激しい思いを、これほどまでに詠うものかと。

 「ああ、弟よ、君を泣く  君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば  親のなさけはまさりしも
 親は刃(やいば)をにぎらせて  人を殺せと教えしや
 人を殺して死ねよとて  二十四までをそだてしや    
 ・・・・・・・・・・・・・・」

 「みだれ髪」の中の一首、
  「やわ肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君」

 この歌は、高野山で修行している若い青年僧に贈った歌と聞く。
 甚だ挑発的な歌である。

 一方、晶子は鎌倉の大仏様は美男であるという歌も残している。
  「鎌倉や 御仏なれど釈迦牟仏は 美男におわす 夏木立かな」

 釈迦牟仏は「しゃかむに」と読み、大仏を指す。

 「君死にたまふことなかれ」の詩を晶子が世に発表するや、世間から非難ごうごうの声が挙がり、国賊呼ばりもされる。

 これに対して晶子は反論したであろうが、どの様な反論をしたのか私は知らなかったのだが、下記のホームページにその反論の内容が記されている。
 興味ある人は読まれたい。(当該ホームページは閉鎖されましたので、アドレスは削除します。平成21年9月16日)

 母は強し、女性は強しである。

 明治の女として愛と情熱の歌を詠った与謝野晶子の直系の孫が、小泉内閣の時に経済学者から閣僚になった人と、経済政策について、同じ閣僚の一人として、閣内で大論争した自民党の重鎮の一人である与謝野馨氏である。

 与謝野晶子が逗留した温泉は、新潟県の村上市の瀬波温泉であった。

 私も、疲れし身を休める今日の宿として瀬波温泉にやって来た。
 初代が瀬波温泉を掘り当て、一度は倒産の憂き目にあいながらも立ち直り、近代的な経営による温泉旅館として現在は繁盛している旅館であった。

 12畳の和室に一人、暮れゆく日本海を見ながら、日本食のフルコースを新潟の銘酒と共にゆったりと心ゆくまで味わった。

 不動産鑑定で地方の仕事をする場合には、殆どがビジネスホテル泊まりであるが、今回は特別である。

 その泊まった温泉が、2007年7月16日に発生した柏崎市沖の新潟県中越沖地震の風評被害を受け、宿泊客のキャンセルが続いていると聞いた。

 柏崎市と瀬波温泉とは新潟市を挟んで100q以上も離れている。
 柏崎市は新潟市の南の富山県に近い側の日本海沿にあり、瀬波温泉は新潟市の北、山形県に近い側の日本海沿に位置している。
 両者は新潟市を挟んで遠く離れている。
 そして瀬波温泉は、現実には家屋の倒壊等は全く被害を受けていないにも係わらず、宿泊客のキャンセルが続いたと聞く。

 一宿しただけとはいえ、宿泊した旅館にも被害が及んでいれば気の毒と思い電話で確かめた。

 旅館のフロントからは、
 「地震の被害は全くありません。
  しかし、宴会・宿泊予定客のキャンセルは続きました。
  四桁の数でしたが、地震後十日程度も過ぎ、現在は徐徐にお客さんは戻りつつあります。
  ご心配を掛けていただき有り難うございます。」
という返事が返ってきた。

 東京電力の柏崎刈羽原子力発電所の近くの断層のひずみで地震が発生したようである。
 原発の発電原子炉は無事であったが、発電原子炉を冷却する冷却水を貯留する槽の一部から冷却水が海に漏れ、放射能が検知されたという新聞報道がなされた。

 柏崎市より100q以上も離れている瀬波温泉ではあるが、柏崎市と瀬波温泉とは同じ新潟県にあるから近くにあると思いこみ、瀬波温泉にも被害が及んでいるのでは無いかと宴会・宿泊予定者は考え、宴会・宿泊キャンセルが続発したものと思われる。

 だが、瀬波温泉には中越沖地震の影響は及んでいなかった。
 瀬波温泉異状なし。


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