○鑑定コラム


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556)しらら浜の砂は白かった

 紀伊の白浜に行って来た。2009年6月の下旬である。観光旅行では無い。不動産鑑定の仕事である。

 紀伊の白浜は2度目である。

 2度目とはいえ、最初に訪れたのは、不動産鑑定業を開業して7、8年目くらいの時であったから、もう30数年前である。

 その時は、東京の不動産業者からの不動産鑑定依頼で、白浜に別荘地を複数持っており、処分するために、それら所有土地の時価評価して欲しいという案件だったと記憶している。その頃、白浜は別荘地ブームの頃であった。

 不動産取引のプロである不動産業者からの鑑定評価依頼であるから、取引事例比較法では能が無かろうと思い、大胆にも、林知己夫の数量化T類による土地価格分析を行って、土地価格を求めたと記憶している。

 白浜の売り出し中の別荘分譲地のパンフレットを集めた。別荘分譲地のパンフレットの価格表の配布を拒む不動産業者も中にはいた。

 7つほどの別荘分譲地のパンフレットの価格データから、しらら浜からの距離、海が見えるか否か、造成地の品等、道路幅員、温泉の有無等の要因と土地価格単価の関係を、林知己夫の数量化T類で分析し、土地価格を求めたことを思い出す。

 その頃は、今のごとくパソコンは普及していなく、4変数を越える逆行列の計算は、大型コンピュータでしか出来なかった。

 FACOMの計算センターに行き、林知己夫の数量化T類の計算プログラムを自分で書き上げ、小林記録紙の黄色いパンチカードにプログラムとデータを打ち込み、1秒900円の料金を支払って計算してもらった。

 コンマとピリオッドのパンチミスで、エラーメッセージが出、何度もやり直したことを思い出す。そのたびにお金がかさむ。

 若い頃に、林知己夫の数量化T類による分析で、土地価格を求めるとは、随分と大胆で無茶なことをやったものだと、今思うと赤面する。

 その時の白浜海岸のしらら浜の砂の美しさにみとれ、砂をガラス瓶に入れて東京の自宅に持ち帰った。
 長い間、居間の茶ダンス棚に飾っていたが、それもいつの間にか無くなってしまった。

 南紀白浜の空港に降りてから、現地案内と現地確認、町役場、登記所の調査、事例地調査、地元不動産業者への取材等で、白浜の町と隣の上富田町、田辺市そして和歌山市と2日間車で走り回った。

 その仕事の合間に少し時間を作り、しらら浜に降りた。

 30数年振りに見たしらら浜であったが、砂の白さは変わらなかった。

 腰をかがめ、白砂に触り、白砂を手に握ってみた。

 砂はサラサラしており、粒は細かかった。混じりっけ無しの白さだった。
 両手で作った漏斗より、両手で掬った白砂を少しずつ落とし、しばし子供心に帰って遊んだ。


白浜3


 しらら浜に近い旅館に宿をとり、夕食に飲んだ酒でほてった体を、海風で冷やそうと、夜のしらら浜を歩き、海辺まで行った。

 旅館の下駄では、砂浜は歩きづらく、裸足になって白砂の感触を足の裏に感じて砂を踏んだ。

 波打ち際近くの砂浜に、浴衣着で腰を下ろし、暗い海を見つめ、浜に打ち寄せる波の音に耳を傾けた。

 何も考えず、ボンヤリと、打ち寄せる波が作り出す白い水泡を見つめ、さざ波の音を聞きながら、酒でほてった体を夜の海風で冷した。
 心安まるひとときであった。


白浜1 白浜2


 鑑定コラム555)「和歌山にて」
 鑑定コラム559)「南紀白浜町の土地価格」

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