○鑑定コラム


フレーム表示されていない場合はこちらへ トップページ

田原都市鑑定の最新の鑑定コラムへはトップページへ

前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ

1095)ジンジロゲーや ジンジロゲー

 火野正平、岐阜県の東部の東美濃(東濃)を走る。

 NHK-BSプレミアムの「自転車こころ旅」の番組で、火野正平は大井ダムの堰堤頂上(天端)を歩いた。

 大井ダムは岐阜県恵那市にある。

 ダム側は、木曽川をせき止めた水を満面に湛(たた)えている。
 ダムと反対側は、50メートル程度の落差があろうか、急峻な滑り台のごとくのコンクリートの堰堤である。
 堰堤の脚元は、ダム築造前の木曽川の岩むき出しの渓谷が見える。

 高度恐怖症気味の火野正平は、へっぴり腰で恐る恐る堰堤天端の狭い通路を、自転車を引いて進む。

 恐怖心を打ち消そうと、火野正平は突然歌を唄い出した。

 ♪♪・・・
     ジンジロゲ−や ジンジロゲ
     ド−レドンガラガッタ 
     ホーレツラッパの ツーレツ 
     マージョリン マージンガラ チョ−イ チョイ
     ヒッカリ コマタキ ワ−イワイ       
     ・・・・・・・

 全く意味不明の歌である。

 何十年ぶりかに聞いた。

 1961年(昭和36年)頃に大ヒットした歌『じんじろげ』である。
 作詞渡舟人、作曲中村八大で森山加代子が唄った。

 火野正平は「ジンジロゲーや ジンジロゲー」の歌を大声で、ダム堰堤の頂上通路を歩きながら唄ってくれた。
 その姿は、少年が暗い夜道を一人で帰る時、怖さを忘れるために大声で歌を唄って急ぐごとく。

 歌が終わってもダムの対岸までたどり着けず、

 「歌が先に終わってしまった。」

とぼやきながら、半分ほど残っているダム堰堤天端通路をこわごわと歩く。

 「ジンジロゲーや ジンジロゲー」の歌は、どういうものか調べてみた。

 ネットの時代は、甚だ便利である。

 「じんじろげ」の語句をグーグルで検索すると、それに関係する記事が検索される。

 「三私説」氏がブログで、じんじろげの歌は旧制第三高等学校の寮歌として歌われていたと、以下のごとく述べられている。

 「三輪佳之氏が『私説・自由寮ヂンヂロゲ』の論考で、ヂンヂロゲの歌は、久留島秀三郎(明治44年二部甲)が明治41年にインド人から聴かされた歌『ヒラミルパニア』が、元歌で久留島の実兄がボーイスカウトに持ち込みボーイスカウトで『マイソールの歌』後に『ヒラミルパニア』と改称されて歌い続けられている。三高で歌われるようになったのは大正5,6年頃であるが、戸塚武彦(大正7三部医)によると大正7年頃には「ジンジロゲヤジンジロゲ、ドーレードンガラカッタ、ホーレツラッパノツエツ、マージョリジョーヤ、シッカリカマタリワイワイワイ」の部分もついて『ヂンヂロゲの歌』として歌われていたという。」

 
   (http://www2s.biglobe.ne.jp/~tbc00346/component/zinziroge.html)

 上記記述から考えれば、元歌はインドの雨乞いの歌であり、それがボーイスカウトで歌われ、旧制第三高等学校の寮歌としても唄い継がれてきた歌といえる。

 それを渡舟人が詩の形を整え、中村八大が曲を付け、森山加世子が唄って日本全国に広まったということになる。

 大井ダムは、発電力5.2万kwで、大正13年(1924年)に築造された。
 建設後89年経過している。

 ダムの耐用年数は100年である。
 後11年で耐用年数がくる。
 11年後に解体撤去することになるか。

 大井ダムは中部地方である岐阜県の恵那市にあることから、地域の電力会社である中部電力のダム・発電所と思われるかもしれないが、そうでは無い。

 関西電力の所有のものである。
 それ故、発電した電力は、大阪方面に送られているのである。


  鑑定コラム820)
「火野正平自転車のこころ旅」

  鑑定コラム1053)「火野正平が唄う2つの歌」

  鑑定コラム1099)「落合ダムと小説」

  鑑定コラム1112)「NHKこころ旅「25年春の旅」二十曲峠で終わる」

  鑑定コラム1168)「火野正平の旅は開高健の言葉で終わる」

  鑑定コラム1230)「金山ダム湖のラベンダー」


フレーム表示されていない場合はこちらへ トップページ

前のページへ
次のページへ
鑑定コラム全目次へ