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1239)南木曾・広島の土砂災害

 2014年は台風シーズンの前であるというのに、雨の降る量が甚だ多い。

 異常気象だというつもりはないが、とにかく日本各地に降る雨の量が多い。
 それも狭い局地での集中豪雨である。
 それが故に、山崩れの土砂災害が多く発生している。

 我がふるさとの木曽川の上流で北隣の長野県南木曾町が、2014年7月9日の午後5時頃に台風8号に伴う集中豪雨によって、木曽川の支流の梨子沢が氾濫した。

 氾濫支流の木曽川近くにある居宅6棟が全壊し、中学生1人が死亡した。

 JR中央線(西線)の南木曾駅近くの橋が流され、中央西線は寸断された。

 鉄道と併走するごとく木曽川沿いを走る国道19号線も土石を被り、一時不通となった。

 南木曾町は、長野県にあり、以前は読書村(よみかきむら)と云っていた。

 私の故郷は、木曽川の右岸で岐阜県にあり、木曽川の反対側、即ち木曽川の左岸は、山口村で長野県であった。現在はその山口村も平成の大合併で中津川市に併合され、我が故郷も中津川市に併合されたことから同じ市に属していることになっている。

 私の小さい頃、木曽川の反対側の「長野県人は優秀で偉い」と云われていた。

 そう耳にし、頭の中に叩き込まれて育った子供時代に、「読書村」(よみかきむら)という文字を見れば、村の名前にも「読書村」とつけてあるから、長野県の村中の人々は読書をし、勉強家で頭が良いところだろうと思っていた。

 しかし、子供心に、長野県人は頭が良く優れているからといって、村の名前にまで付けて強調しなくてもよいではないかとも思っていた。

 親戚が三留野(みどの)にあったから、小さい時、よく三留野に行っていた。
 そのことから三留野村でいいではないかと思っていた。駅名が「三留野」ということもあったことから。

 社会人になり、読書村のいわれを知って唖然とした。

 読書村は、明治7年に与川村(よがわむら) 、三留野村(みどのむら)、柿其村(かきぞれむら)のそれぞれの頭文字を並べて、

                  よ・み・かき村

とし、漢字として「読書」という文字をあてて村名としたと知った。

 書物を読み、文章を思考して書く「読書」とは、全くゆかりも関係も無い村名である。

 これを知って、
 「何だ頭の良い長野県人はそんな事をするのか」
と、私は自分で頭の中で描いていた長野県人の虚像が崩れてしまい、がっかりしてしまった。それは失望へと変わった。

 「読書村」の当て字と同じことが、またまた隣村でも行われている。
   
 正岡子規、伊藤左千夫、斎藤茂吉達の歌人が集った「アララギ派」を連想したくなる名前の蘭村(あららぎむら)と妻籠村(つまごむら)とが、明治7年に合併するが、読書村と同じく両村の名前の頭文字を取って、

       あ・つま→あづま→吾妻村

当て字の漢字を付けた村となった。

 この読書村、吾妻村に田立村が加わって、昭和36年に「南木曾町」になった。

 妻籠は、中仙道の重要伝統的建造物群保存地区に指定されて、多くの観光客が訪れる。

 旧中仙道を妻籠の馬籠峠を越えて南に行くと、馬籠の宿である。島崎藤村の出身地である。

 馬籠の宿を南に下って行くと、「落合宿」で、映画、テレビ、演劇の「十三人の刺客」の舞台となっている宿場である。

 「落合宿」を南に行くと「中津川宿」で、日本の歴史を変えた会談の一つである桂小五郎と長州藩主毛利慶親が会談した「中津川会談」の宿場となる。

 山と山が狭まり、谷底の少ない平坦地に、木曽川と鉄道の中央線そして国道19号が走り、住宅、田畑は、山裾の傾斜地を耕し、建物は建っている。

 峰に降った大雨は、保水力の無い急峻な山肌を削り山崩れを引き起こす。
 削り取られた山肌の土石と立木は、小さな谷川を雨水と土石と立木が交じる荒れ狂う流れに変貌させて、木曽川に激しく流れ込む。

 小さな谷川沿の住宅は、襲いかかる土石流に巻き込まれ破壊されてしまう。
 自然の猛威にはとても勝てない。

 2014年8月20日午前3時半頃、広島市の安佐北区可部、安佐南区八木、山本、緑井などの地区で、大規模な土砂崩れが発生した。

 原因は局地的な大雨によって、大規模住宅団地の裏山の山林が山崩れを引き起こし、山麓すぐ近くまで開発されていた大規模住宅地を雨水交じりの土石流が襲った。

 2014年8月24日現在、死者50人、行方不明者38人という大土砂災害となった。

 宅地開発行政を誤ったと云えば、それまでであるが、そういって済ます訳には行かないであろう。

 私は、2、3度広島に不動産鑑定で訪れたこともある。

 安佐南区の住宅団地や広島市内の商業地、港近くの工業地の土地の鑑定であった。

 安佐南区のある住宅団地に行った時、周辺に大規模開発された住宅団地が多くあるのに、いささか驚いたことを記憶している。

 アストラルラインという鉄道を中心にして、その両側の山林台地が大規模住宅団地になっていた。

 団地名を列挙すれば、下記である。

 「毘沙門台団地、弘億団地、サニーハイツ緑が丘、向ケ丘団地、高取第一団地、第二高取団地、桜ヶ丘団地、武田山団地、あさおか台団地、東亜ハイツ、平和台団地……等」

 その多さにびっくりした。

 災害で亡くなられた人々の冥福を祈る。


  鑑定コラム849)
「桂小五郎が中津川に来ていた」

  鑑定コラム693)「藤村記念館と中学同窓会」

  鑑定コラム80)「中津川市周辺町村の合併」


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