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80)中津川市周辺町村の合併

 2003年元旦、今年最初の『鑑定コラム』です。

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・・・・ひとり都のゆふぐれにふるさとのおもい涙ぐむ」と室生犀星は故郷を詠うが、今や遠く離れて暮らし想う我が故郷に関する話題を一つ。

 不動産鑑定の実証性とは全く関係ない話です。

 国の補助金や交付金、そして介護・老人医療費等の要因が原因となっているのか理由ははっきりと分からないが、平成の市町村の大合併が行われようとしている。

 我が名もなき故郷も、その時代の波に飲み込まれ、周辺6町村が地域の経済・工業の中心地である中津川市に合併しようとしている。

 中津川市は岐阜県の東端部中央の市である。木曽山脈の厳しい谷間が終わり扇状の平野になる「阜」に出来た都市である。三菱電機、王子製紙の2つの大きな工場がある。

 日本画家の大御所であった前田青邨の生まれ故郷でもある。

 この中津川市に坂下町、川上村(かわうえむら)、加子母村(かしもむら)、付知町(つけちちょう)、福岡町、蛭川村(ひるかわむら)が合併しょうとしている。

 そしてややこしいことに、県境を越えて隣村の長野県山口村も合併に加わりたいと言い出している。山口村の村民の7割を超える大半の人は中津川市に編入賛成である。

 山口村といってもどんな村か知らない人が多いが、小説『夜明け前』を書いた島崎藤村の出身地である。

 山口村というよりか、歴史的保存建物の観光地として知られている「馬籠(まごめ)の宿」のある村といった方が分かり易いかもしれない。

 島崎藤村は山口村馬籠出身である。

 島崎藤村は「信州が生んだ小説家である」として長野県人の誇りである。

 その出身地が岐阜県に編入してしまうことになること、それはプライドの高い長野県人としては我慢ならないことである。

 長野県中央の行政では岐阜県への編入まかりならんというが、地元は完全に日常生活は中津川市の経済圏に入っており、中津川市になっても違和感は全くない。

 町村の越境編入は今迄に無くもない。そもそも馬籠がそのトラブルを経験している。

 もともと馬籠は長野県神坂村に属していたが、長野県神坂村が岐阜県中津川市に編入する事になった。

 しかし、馬籠のある地区は、どうしたわけか編入反対で神坂村を「分村」し、山口村に合併した地区である。
 分村してまで馬籠は長野県に残ったのである。

 それは何故か?。私には詳しいことは分からない。

 それはもう40年以上も前の話である。

 今回の越境問題も、結局国を交えて岐阜県の梶原拓知事と長野県の田中康夫知事の話し合いで決着ということになるか。

 我が故郷はその山口村と木曽川を挟んで対峙する町である。

 小さい頃から長野県人は偉い。岐阜県人はダメだと言われて育ってきた。その長野県人の偉いということの引き合いに出されるのが、常に島崎藤村であった。

 中学校の遠足といえば、木曽川を渡り一山超えて、およそ10キロ離れた馬籠の島崎藤村が生まれ育った生家の「藤村堂」の見学である。

 学校に集合するために、家から学校まで既に3キロ程度歩いてきている。それから往復20キロの徒歩の遠足は、今考えればかなりのハードな学校行事である。

 我が故郷には島崎藤村のごとく誇るべき人はいない。

 「ハナノキ」という天然記念物の自生地と東濃地区にしかない「なんじゃもんじゃ」という妙ちくりんな名の木のある町である。

 ただ一つ「五平餅」というおいしい焼き串団子がある。小さな5つの団子を串差しにし、ゴマと落花生をすりつぶし砂糖と醤油を混ぜて作ったたれを付けて、いろりの灰に斜めに串を差して火を当て、串を返しながら、再びたれを付け直し、じっくり焼いて食べる団子餅である。

 わらじの様な形をした五平餅ではない。

 川上村、加子母村は「東濃の檜」の産地である。戦前まで入山も許されず、「御料の木」を切ったら首が飛ぶと言い伝えられて育てられてきた檜である。

 加子母村の檜は、伊勢神宮の遷宮や法隆寺そして皇居にも使われている。

 付知町は文化勲章を辞退した画家の熊谷守一の出身地である。

 東京美術学校の同期生には、私がもっとも好きな絵の一つである「海の幸」を描いた青木繁がいる。

 熊谷守一は97歳と長生きしたが、身近な題材を巧みに、しかし素朴な構成で描いている。そこに人を引きつける何かがある。

 俳優の緒形拳のホームページの「坐辺師友」に、熊谷守一の白い花を付けたネギの素朴な絵が使われている。

 一本の折れたネギの構成がすばらしい。揮毫が97歳とあるから、熊谷守一の人生最後の一枚か。

 緒形拳のホームページの、熊谷守一の白い花を付けたネギの素朴な絵を一度見られたい。
 (緒形拳が亡くなり、緒形拳のホームページが閉鎖されてしまいました。そのためアドレスを削除します。)

 蛭川村は鳥居、庭園に建築家が好んで使い、御影石の中でも名高い「ひるかわ御影石」の産地である。

 東京の公園にも時々使われているのを目にすると、よくぞこんな遠くまで運んで来たものだと感心したくなる。

 白い花が木を全面に覆う「なんじゃもんじゃ」の木の自生地でもある。

 福岡町は花王石鹸(現「花王」)の創業者長瀬富郎の出身地である。

 島崎藤村の『夜明け前』に若き時代の長瀬が描かれているという。

 合併して名が残る中津川市はいいかもしれないが、これら周辺の町村が合併により名前が消え去ることはさみしいことである。
 
 我が故郷の「五平餅」のみ取り上げて、合併で大きな市になる中津川のおいしいものを無視する訳には行かない。

 中津川のおいしいものの一つに「川上屋(かわかみや)」の「栗きんとん」がある。

 絶品の味である。

 東京のデパートにも季節になると出ている場合がある。

 一度賞味あれ。



****追記 2020年3月4日

 久しぶりに鑑定コラム80)を訪れ、読み返した。我が故郷には誇るべき人が誰もいないと記しているが、2015年10月に、我が故郷から文化勲章受章者が出た。

 末松安晴氏である。

 東工大教授から東工大の学長をされ、光ファイバー、光通信の研究の先駆者であり、その第一人者である。現在の大容量で長距離の光ファイバー通信技術の確立と発展に大きく貢献されている。

 我が故郷の誇るべき人である。

 氏の末弟が私の中学の同級生である。同級生の兄が、我が故郷の誇るべき人と云うのも、身近に感じなお嬉しい。


 
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