○鑑定コラム



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702) 大月にて

 2010年の8月、夏の暑い真っ最中に山梨の大月に行って来た。

 富士山方向に向かう富士急行の始発の大月駅と、JR中央線の大月駅とが接続する駅のある町である。

 大月市内で工場を建てる予定の企業からの工場予定地の土地の鑑定評価依頼であった。

 工場用地を取得する為に、事前に不動産鑑定評価を依頼する企業経営者は優れた経営者だ。

 購入予定の工場地を不動産鑑定することによって、事前にどういう土地であるのかという土地情報をほぼ全部手にすることが出来る。
 土地取得後にこんなハズではなかったという経営リスクを避けることが出来る。

 大月の商店街は、国道20号線(甲州街道)に面しているいわゆる路線商業地であるが、シャッターを締めている店舗が目立ち、あまり活気がある商業地とは思えなかった。

 街の姿をじっくり見ることなど出来ず、不動産鑑定の基礎データ集めに市内を奔走させられた。

 市役所に行くと、それはあっちに行け。それはこちらにはなくあちらだという。担当部署を探し市内を駆けづり回った。

 この役所の部署の分散は何とかならないものなのか。

 埋蔵文化財の包蔵地の有無の職掌部署は、大月市郷土資料館だという。
 それは何処かと聞けば、猿橋だという。

 国道20号線を東京方向に車を走らせ、大月市郷土資料館で用を済ませた。  来たついでであるから、大月市郷土資料館が催し物をしていたら見ていこうと思い、学芸員に聞いた。

 「何か企画展示を行っていますか。」
と。

 そうしたら、
 「白旗史郎の写真展があります。」
という答えが返ってきた。

 「白旗史郎というと、あの有名な写真家の白旗氏ですか。」
と問うと、

 「そうです。」
と学芸員は答える。

 聞けば、白旗氏は大月市の出身であるという。
 それで大月市郷土資料館では、白旗史郎氏の珠玉の富士12景の写真を常設しているという。

 入場料を支払って、白旗史郎氏の珠玉の富士12景の写真を見た。
 日本を代表する山岳写真家の目で捉えた富士山の写真は、文句の云い様のない見事な切り口の写真であった。

 カレンダーで見る写真とは、全く趣が異なる迫力と陰影が鮮やかな富士山の写真であった。

 「猿橋という地名であるから、日本三大奇橋は近くなのか。」
と学芸員に聞く。

 「すぐ近くです。郷土資料館の裏から歩いて行けます。」
と云う返事が学芸員から返ってきた。

 ならば猿橋を見ていこうと猿橋まで歩いた。桂川を右岸沿いを歩いた。
 桂川では鮎の友づりをしている釣り人が多く見られた。
 私も一度は鮎の友づりをしたいと思ったが、ついにこの歳まですることが出来なかった。多分もう一生出来ないであろう。

 猿橋は2つの断崖を作る桂川に架けられていた。
 両岸の崖の地中深くに「桔木(はねぎ)」と呼ばれる橋を支える桁が埋め込まれ、下段より桔木が徐々にせり出して4本の桔木で橋が支えられている。

 その状況は、右に行くに従って長くなっている4本の縦の棒グラフを頭に浮かべて見て下さい。
 その棒グラフを左側へ横にした状態にしたのが、桔木の状況と考えればわかり安いのではなかろうか。


猿橋1

猿橋2

猿橋3



 「日本三大奇橋」と呼ばれるものは、この猿橋と、山口岩国にある錦帯橋そして我が故郷にちかい木曽地方の「木曽の桟(かけはし)」である。

 岩国の錦帯橋は不動産鑑定で岩国に行った時、渡ってみた。太鼓橋である。
 「木曽の桟」は、上松辺りにあったと、小さい頃から良く聞いていたが、私は「木曽の桟」は見たことが無い。

 大月の現地調査、その他の諸々の調査に時間がかかり、疲れもあったので、大月で一泊することにした。

 大月でホテルを捜したが、ホテルが無い。
 これには参った。

 古い先入観で、繊維関係の卸問屋が多い大月であるからホテルはあるであろうと思ったが、無い。
 ホテルの無い大月を知って、大月の商業規模の程度を実感した。

 大月の商業統計、工業統計を大月市のホームページで見ると、下記のごとくである。

 工業統計は平成19年のものである。

    工業事業所   118
       従業員     2,227人
    製品出荷額   51,394百万円

 商業統計は、下記のとおりである。
                          商店数   商品販売額(万円)
     平成6年7月1日    516        2,494,264
     平成9年6月1日    462        2,364,838
     平成11年7月1日    471        2,075,578
     平成14年6月1日    435        1,958,081
     平成16年6月1日    417        1,835,302
     平成19年6月1日    359        1,687,993

 平成6年から平成19年までの13年間に、大月の商店数は、

       359/516 = 0.696
   
30%減少してしまった。

 商品の販売額は、

            1,687,993/2,494,264 = 0.678

32%減少してしまった。

 これから見て、いかに大月の経済が疲弊してしまった状態かが分かろう。
 国道沿のメーン商業地にシャッター店舗が多く見られることも頷けよう。

 こうした大月に企業が工場を建てようとしているのである。
 雇用の確保がなされる。
 市としては、願ってもないことでは無かろうか。

 税収も企業の生産活動の存在があってこそ、雇用も企業あってこそ成り立つものである。

 大月にもう一つ開ける希望がある。
 「猿橋」という日本三大奇橋の一つがあることである。

 この橋を見に来る観光客が増えている。
 大月の観光客は、

   平成13年 142,437人(79,000人)
   平成19年 192,162人(99,300人)

である。()内の人数は「猿橋」の観光客である。全体的に観光客が増えているが、一つの施設としては、ダントツに「猿橋」の観光客が多い。
 この観光施設をより大切にして、訪れる人を増やすことだ。

 「人がお金を運んで来てくれる」が、経済の鉄則である。
 人が来てくれなくては、どんな立派な政策名案でも絵に描いた餅にしか過ぎない。
 
 最後に大月の住宅地の価格はどれ程か、国交省発表の地価公示価格を引用して下記に記す。

 地価公示価格 大月1  大月市大月1丁目16番6
        大月駅より400mの住宅地

 昭和60年〜平成22年までの価格の変遷を記す。単位u当り円である。
 平成4年・5年をピークにして、その後の著しい土地価格の下落を知る事が出来よう。

 
    昭和60年     118,000円
    昭和61年     121,000円
    昭和62年     123,000円
    昭和63年     127,000円

平成元年 131,000円 平成02年   172,000円 平成03年   209,000円 平成04年   218,000円 平成05年   218,000円
平成06年   212,000円 平成07年   210,000円 平成08年   203,000円 平成09年   187,000円 平成10年   167,000円
平成11年   156,000円 平成12年   140,000円 平成13年   130,000円 平成14年   119,000円 平成15年   108,000円
平成16年   98,800円 平成17年   89,300円 平成18年   83,300円 平成19年   80,800円 平成20年   79,000円
平成21年   77,700円 平成22年   76,300円

 大月の住宅地の価格は、平成4・5年をピークにして、平成22年の現在は、

       76,300円/218,000円 = 0.35

の価格になってしまった。

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