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1537) 1977年に建てた木造住宅が寿命を迎えている

 1977年に建てた木造住宅が寿命を迎えている。

 一般社団法人住宅生産団体連合会(会長 和田 勇 積水ハウス株式会社代表取締役会長)が、『2015年度戸建注文住宅の顧客実態調査』を、2016年9月5日に発表した。

 同調査によると、建て替えるまで住んでいた住宅の平均築年数は、38.3年であった。

 前年度の2014年は、36.2年であった。その前の2013年は38.3年であった。

 木造居宅建物の経済的耐用年数は、再び38年に戻った。

 過去の同団体の調査による建築経過年数を記すと、下記である。

            2008年度          33.0年
            2009年度          34.0年
            2010年度          34.3年
            2011年度          36.4年
            2012年度          36.4年
            2013年度          38.3年
            2014年度          36.2年
            2015年度          38.3年

 2015年から38年前というと、1977年(昭和52年)である。
 その時に建てた建物が、現在寿命を終え、取り壊されている。

 木造居宅建物の経済的耐用年数は、もう20年、25年の時代ではない。30年の時代になっており、35年の時代になろうとしている。

 現在38歳の人が、オギャーと生まれた年である昭和52年という年を振り返って見る。

 その年、世間を最も驚かした事件は、日本赤軍によるバングラディシュのダッカ日航機ハイジャック事件である。私も驚いた。

 犯人達は、時の福田赳夫首相に、服役中の日本赤軍メンバーの釈放と身代金を要求し、それに政府は「人命は地球より重い」と云って超法規的措置で応じた事件である。

 私の住んでいる近くに府中刑務所があるが、そこに服役していた政治犯の赤軍メンバーが、人質交換のために緊急に府中刑務所から連れ出され、羽田空港からダッカに飛び立った。そんなことをしてよいのかと訝りながら、放送するテレビの前に釘付けになったことを思い出す。

 府中刑務所敷地外壁の北側道路際で、活動家がマイクを持って、刑務所に向かって演説していた光景をよく見た。

 府中刑務所の監獄舎に服役している日本赤軍のメンバーに、刑務所の周りをぐるりと取り囲む高いコンクリートの壁の外から、語り聞かせているような演説であった。しかし、果たして中の監獄舎にいる人々の耳に届いていたかは定かでない。

 府中刑務所は、その起源は、池波正太郎の描く『鬼平犯科帳』の火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が作った「石川島人足寄場」である。

 石川島人足寄場が、明治になって巣鴨監獄に移り、そこが関東大震災で全壊し、府中に移転して来たのである。

 入所者は累犯(るいはん)、知能犯、政治犯、外国人である。

 累犯とは、刑法56条、59条に書いてある要件の犯罪で、何度も犯罪を繰り返して刑務所に出たり入ったりしている犯罪である。

 それら犯罪を犯す人の多くは、暴力団組員である。

 暴力団、ヤクザの仲間で「府中帰り」として、一目おかれているのは、府中刑務所がそうした人々を入所させる刑務所であるためであろう。

 入所者は、政治犯もいる。日本赤軍のメンバーは、政治犯として府中刑務所に入っていた。

 刑務所の中の話はここまで。刑務所の外の話を一つ。

 その府中刑務所敷地を取り囲んで作られている外壁の北側を走る道路は、その道路上で、「東芝府中工場全従業員給与ボーナス三億円現金輸送強奪事件」(1968年12月10日)が起こった道路でもある。

 その事件は、府中警察署に捜査本部を置いて、警視庁が18万人の延べ警察官を動員し、「鬼の八兵衛」の異名を持った平塚八兵衛氏を主任に投入して大々的に捜査したが、結局迷宮入りした。

 話が横道にそれた。1977年の出来事の話にもどる。

 1977年のスポーツでは、プロ野球の王貞治氏が、世界一となる756本のホームランを打った年でもある。今でも時々その樹立の瞬間の映像をテレビは流す。

 1977年の小説では、アメリカで『ルーツ』(著者アレックス・ヘイリー)がベストセラーになり、その翻訳が日本でも出され、私は読んだ。

 主人公の祖先は、アフリカから奴隷としてアメリカに連れて来られた。その血を引く主人公が、自分のルーツをアフリカで捜す内容の小説であった。

 日本では、新田次郎の『八甲田山死の彷徨』という小説がベストセラーになった。私は勿論読んだが、実際に起こった旧陸軍の雪の八甲田山の訓練で、多くの若い兵士が凍死する内容のものである。

 映画化もされ、その映画も見た。辛い内容の映画であった。

 1977年に無くなった人で、アメリカのロックンローラーのエルビス・プレスリーが、若くして亡くなったのには、大変驚いた。何故無くなったのだ、原因は何だと当時激しく思ったことを思い出す。

 「監獄ロック」、「ハートブレイク・ホテル」、「ラブミー・テンダー」の歌が頭の隅のどこかから聞こえてくる気がする。42歳だったと記憶している。

 1977年に、故郷に近い旧中津川市が生んだ日本画家の大家である前田青邨が亡くなった。

 世は歌につれてであるが、1977年に流行った歌では、石川さゆりが歌った「津軽海峡・冬景色」(作詞阿久悠、作曲・編曲三木たかし)が記憶に残る。

 そして、今でもJR中央本線(東線)の新宿−松本間を走っている特急「あずさ」であるが、それを狩人が「あずさ2号」(作詞竜真知子、作曲・編曲都倉俊一)という歌で唄い、それがヒットした。

 若い頃、何度も訪れた上高地の「梓川」を思い出させる「あずさ」の言葉であることから、その歌とメロディーは、未だに忘れられない。


  鑑定コラム1)
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  鑑定コラム1382)「住宅の平均耐用年数は36.2年(2014年)」

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