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337)経済的耐用年数とは

 建物の経済的耐用年数についての問い合わせが多い。
 『賃料<家賃>評価の実際』p226 田原(清文社 2001年 絶版)に記述している「経済的耐用年数」の文章に加筆して、経済的耐用年数に付いて述べる。

 経済的耐用年数とは、建物がその使用目的に適応して、充分に使用目的を満足できうる年数をいう。
 物理的耐用年数とは異なる。

 実務で採用している経済的耐用年数は、

     鉄骨鉄筋コンクリート造     40〜47年
          鉄筋コンクリート造         40〜47年
          重量鉄骨造                      35年
     木造                            20〜25年
である。税法上の耐用年数を採用する場合が多い。

 木造住宅の使用年数の統計調査では、東京都が発表している『東京都住宅白書』平成12年版P24に次の記述がある。

 「東京における住宅がどの程度の期間使用されているのかについて、『住宅・土地統計調査』の各調査年において、それ以前の5年間に滅失した住宅の建築時期から平均使用年数を算出してみると、88年(昭和63年)は「21年」、93年(平成5年)は「24年」、98年は「29年」となっている。」

 木造住宅の使用年数が、21年、24年、29年と5年ごとに調査するたびに伸びているのである。
 白書のいう「住宅の使用年数」は、鑑定評価で使用している「経済的耐用年数」とほぼ同意語と考えられる。

 このことから、今迄鑑定評価で木造住宅の経済的耐用年数を20〜25年として計算していたものを、今後は30年として計算しなくてはならないことになる。

 上記経済的耐用年数は、当該建物の全経済的耐用年数である。いわば新築の建物の場合の経済的耐用年数である。

 現実には築後15年等経過している建物を評価する場合が多い。その時に問題になるのが、「経済的残存耐用年数」である。

 経済的残存耐用年数とは、全経済的耐用年数から経過年数を差し引いた残存する年数をいう。

 例えば、全経済的耐用年数が35年の重量鉄骨造のマンションの建物が有り、築後8年経過している時の場合、このマンションの建物の経済的残存耐用年数は、
      35年−8年=27年
27年が経済的残存耐用年数と言うことになる。

 経年による建物価格修正率は、
      27÷35=0.77
と言うことになる。

 頭を悩ますのは、木造住宅で改築工事などして経済的耐用年数が延びていると判断される場合である。

 25年の経済的耐用年数が過ぎて、30年経っているにもかかわらず、改築等により今後も充分使用出来、経済的価値が認められる場合である。
 そうした場合、今後何年くらいの使用に耐えうるかを判断し、その年数を経過年数に加えて、全経済的耐用年数を求めることになる。

 今後8年位の使用に充分耐え、経済的価値もあると判断された場合は、経済的残存耐用年数は8年と言うことになる。全経済的耐用年数は38年(30+8=38)となる。

 経年による建物価格修正率は、
      8÷(30+8)=0.21
と言うことになる。



****追記 2014年11月6日 港のヨーコの流行った年に建てた建物が寿命を迎えた(耐用年数38.3年) 

 一般社団法人住宅生産団体連合会が、2014年8月28日に、2013年度(平成25年度)の『戸建注文住宅顧客実態調査』を発表した。

 戸建注文住宅に建て替えるために、それまで住んでいた住宅を解体する事になる。

 同調査書の中で、その居住していた建物の建築から解体までの期間を集計している調査結果が記されている。

 2013年度の調査では、

                38.3年

である。経済的耐用年数は38.3年ということである。

 1年前の2012年度(平成24年度)は、36.4年であった。

 建物の経済的耐用年数は、

              38.3年−36.4年=1.9年

1.9年伸びた。

 2013年から38年前というと、

      2013年−38年=1975年(昭和50年)
である。

 1975年(昭和50年)をひもとくと、前年の11月に田中角栄内閣が総辞職し、12月に椎名裁定によって、三木武夫内閣が出現した。

 世界に目を向けると、アメリカを悩ましたベトナム戦争が、サイゴン陥落で終了した。アメリカはベトナムより撤退することになる。

 イギリスでは、初の女性首相となるサッチャー内閣が出来る。

 国内の企業では、今や日本の小売店舗の雄の一つとなっているコンビニエンスストアのローソンが創業した。

 女性登山家の田部井淳子氏が、世界で初めて女性として、エベレスト登頂に成功した。

 映画では、巨大鮫の恐怖を描いたスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』が封切られた。

 小説では、私が読んで怖いと思ったソルジェニーツィンの『収容所群島』 が発刊された。ソルジェニーツィンの小説では、『イワン・デニーソヴィチの一日』も大学時代に読んだことを思い出す。

 世は歌につれ、歌は世につれであり、1975年のヒット曲は、小椋佳作詞・作曲、布施明唄の『シクラメンのかほり』(キングレコード)である。

 もう一つ、「アンタ、あの娘(こ)のなんなのさ」の名文句が、強烈に記憶に残る『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(作詞阿木燿子、作曲宇崎竜童、唄ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 東芝EMI ) が、はやった年でもある。

 港のヨーコは、燿子なのか。

 港のヨーコの流行った1975年に建てた木造建物が、建替の時を迎え、建て替えられようとしている。その建物の経済的耐用年数は38.3年であった。

           (鑑定コラム1272を転載)



****追記 2015年8月30日 住宅の平均耐用年数は36.2年(2014年) 

 一般社団法人住宅生産団体連合会(会長 和田 勇 積水ハウス株式会社代表取締役会長)が、『2014年度戸建注文住宅の顧客実態調査』を、2015年8月20日に発表した。

 同調査によると、建て替えるまで住んでいた住宅の平均築年数は、36.2年であった。

 前年度の2013年は、38.3年であったから、約2年短縮した。

 それまで経過年数がどんどん延びていたことから、経過年数40年に行くのかなと思っていたが、経過年数38年から下がってしまった。

 この現象は、住宅建物の経済的耐用年数の限界が見えたことになるか。

 しかし、それはまだ分からない。来年、再来年のデータを見ないと、建築経過年数38年が住宅建物の経済的耐用年数の限界とは断定出来ない。

 過去の同団体の調査による建築経過年数を記すと、下記である。

            2008年度          33.0年
            2009年度          34.0年
            2010年度          34.3年
            2011年度          36.4年
            2012年度          36.4年
            2013年度          38.3年
            2014年度          36.2年

 2014年から36年前というと、1978年(昭和53年)である。
 その時に建てた建物が、現在寿命を終え、取り壊されている。

 36年前の昭和53年という年を振り返って見る。

 不動産に関する出来事では、1959年に日本で最初にプリント合板の製造を行った合板メーカーの永大産業が倒産し、会社更生法の適用を受けることになった。負債総額は1800億円で、戦後最大と騒がれた。

 巣鴨プリズンと呼ばれた巣鴨刑務所跡に、60階建の建物「サンシャイン60」が建った。

 成田国際空港である新東京国際空港が開港した。

 映画では、ジョージ・ルーカス監督の映画『スターウォーズ』封切られた。

 親が子供に託す願いごととして、小学生であった我が子にこの映画は是非見せておこうと思い、新宿の映画館に連れて行ったことを思い出す。

 それは、私が幼い時に見た映画が、今でも最高の映画と思っていることから、良い映画は小さい時でも見せておくべきと思っているためである。

 私は父の職業の関係上、小学生の時、小学校を3つ転校している。

 そのうちの一つであるが、小学生の2,3年の時、岐阜県の東濃の南東端近くに静波村という村にある東方(ひがしかた)小学校で学んだ。

 年に一、二回か全校が映画館で映画をみる日があった。

 静波村に映画館など無い。

 映画館のある町まで歩いて行くのである。

 その映画館は、明知(あけち)という町にあった。

 明知は、かって明知遠山家の所領で、その明知遠山家の家系に、江戸幕府の北町奉行になった遠山金四郎がいる。

 静波村の東方小学校から明知までは、1q、2qのごとく半端な距離では無い。

 一日掛かりの学校行事である。

 どんな映画内容かも知らず、学校の先生が引率してくれると言うことで、弁当持って明知まで歩いていった。

 見た映画は、黒沢明の『七人の侍』という映画であった。

 日本最高の映画を、学校の先生が選んで、よくぞ見せてくれたものだと感謝している。

 そうした経験が影響していたのか、小学生であった我が子に、封切りされた『スターウォーズ』という映画を見せたのである。

 世は歌に連れてであるが、この年流行った歌は、コマーシャルソングである。

 日本国有鉄道が、電通の腕利き広告マンと組んで放った「いい日旅立ち」のキャンペーンのコマーシャルソングである。

 作詞・作曲が谷村新司で、歌ったのは、山口百恵である。

 JRのテレビのコマーシャルで、今でもメロディーが流れている。
 メロディが流れると一緒につい口ずさんでしまう。

 ♪♪ 雪解け直近の北の空に向かい・・・・・
    ああ 日本のどこかに
    私を待っている人がいる
    いい日旅立ち・・・・

 良い曲だ。

           (鑑定コラム1382を転載)



****追記 2016年9月19日 1977年に建てた木造住宅が寿命を迎えている 

 1977年に建てた木造住宅が寿命を迎えている。

 一般社団法人住宅生産団体連合会(会長 和田 勇 積水ハウス株式会社代表取締役会長)が、『2015年度戸建注文住宅の顧客実態調査』を、2016年9月5日に発表した。

 同調査によると、建て替えるまで住んでいた住宅の平均築年数は、38.3年であった。

 前年度の2014年は、36.2年であった。その前の2013年は38.3年であった。

 木造居宅建物の経済的耐用年数は、再び38年に戻った。

 過去の同団体の調査による建築経過年数を記すと、下記である。

            2008年度          33.0年
            2009年度          34.0年
            2010年度          34.3年
            2011年度          36.4年
            2012年度          36.4年
            2013年度          38.3年
            2014年度          36.2年
            2015年度          38.3年

 2015年から38年前というと、1977年(昭和52年)である。
 その時に建てた建物が、現在寿命を終え、取り壊されている。

 木造居宅建物の経済的耐用年数は、もう20年、25年の時代ではない。30年の時代になっており、35年の時代になろうとしている。

 現在38歳の人が、オギャーと生まれた年である昭和52年という年を振り返って見る。

 その年、世間を最も驚かした事件は、日本赤軍によるバングラディシュのダッカ日航機ハイジャック事件である。私も驚いた。

 犯人達は、時の福田赳夫首相に、服役中の日本赤軍メンバーの釈放と身代金を要求し、それに政府は「人命は地球より重い」と云って超法規的措置で応じた事件である。

 私の住んでいる近くに府中刑務所があるが、そこに服役していた政治犯の赤軍メンバーが、人質交換のために緊急に府中刑務所から連れ出され、羽田空港からダッカに飛び立った。そんなことをしてよいのかと訝りながら、放送するテレビの前に釘付けになったことを思い出す。

 府中刑務所敷地外壁の北側道路際で、活動家がマイクを持って、刑務所に向かって演説していた光景をよく見た。

 府中刑務所の監獄舎に服役している日本赤軍のメンバーに、刑務所の周りをぐるりと取り囲む高いコンクリートの壁の外から、語り聞かせているような演説であった。しかし、果たして中の監獄舎にいる人々の耳に届いていたかは定かでない。

 府中刑務所は、その起源は、池波正太郎の描く『鬼平犯科帳』の火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が作った「石川島人足寄場」である。

 石川島人足寄場が、明治になって巣鴨監獄に移り、そこが関東大震災で全壊し、府中に移転して来たのである。

 入所者は累犯(るいはん)、知能犯、政治犯、外国人である。

 累犯とは、刑法56条、59条に書いてある要件の犯罪で、何度も犯罪を繰り返して刑務所に出たり入ったりしている犯罪である。

 それら犯罪を犯す人の多くは、暴力団組員である。

 暴力団、ヤクザの仲間で「府中帰り」として、一目おかれているのは、府中刑務所がそうした人々を入所させる刑務所であるためであろう。

 入所者は、政治犯もいる。日本赤軍のメンバーは、政治犯として府中刑務所に入っていた。

 刑務所の中の話はここまで。刑務所の外の話を一つ。

 その府中刑務所敷地を取り囲んで作られている外壁の北側を走る道路は、その道路上で、「東芝府中工場全従業員給与ボーナス三億円現金輸送強奪事件」(1968年12月10日)が起こった道路でもある。

 その事件は、府中警察署に捜査本部を置いて、警視庁が18万人の延べ警察官を動員し、「鬼の八兵衛」の異名を持った平塚八兵衛氏を主任に投入して大々的に捜査したが、結局迷宮入りした。

 話が横道にそれた。1977年の出来事の話にもどる。

 1977年のスポーツでは、プロ野球の王貞治氏が、世界一となる756本のホームランを打った年でもある。今でも時々その樹立の瞬間の映像をテレビは流す。

 1977年の小説では、アメリカで『ルーツ』(著者アレックス・ヘイリー)がベストセラーになり、その翻訳が日本でも出され、私は読んだ。

 主人公の祖先は、アフリカから奴隷としてアメリカに連れて来られた。その血を引く主人公が、自分のルーツをアフリカで捜す内容の小説であった。

 日本では、新田次郎の『八甲田山死の彷徨』という小説がベストセラーになった。私は勿論読んだが、実際に起こった旧陸軍の雪の八甲田山の訓練で、多くの若い兵士が凍死する内容のものである。

 映画化もされ、その映画も見た。辛い内容の映画であった。

 1977年に無くなった人で、アメリカのロックンローラーのエルビス・プレスリーが、若くして亡くなったのには、大変驚いた。何故無くなったのだ、原因は何だと当時激しく思ったことを思い出す。

 「監獄ロック」、「ハートブレイク・ホテル」、「ラブミー・テンダー」の歌が頭の隅のどこかから聞こえてくる気がする。42歳だったと記憶している。

 1977年に、故郷に近い旧中津川市が生んだ日本画家の大家である前田青邨が亡くなった。

 世は歌につれてであるが、1977年に流行った歌では、石川さゆりが歌った「津軽海峡・冬景色」(作詞阿久悠、作曲・編曲三木たかし)が記憶に残る。

 そして、今でもJR中央本線(東線)の新宿−松本間を走っている特急「あずさ」であるが、それを狩人が「あずさ2号」(作詞竜真知子、作曲・編曲都倉俊一)という歌で唄い、それがヒットした。

 若い頃、何度も訪れた上高地の「梓川」を思い出させる「あずさ」の言葉であることから、その歌とメロディーは、未だに忘れられない。

           (鑑定コラム1537を転載)


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  鑑定コラム1216)「住宅建物の経済的耐用年数は36.4年(2012年度)」

  鑑定コラム1272)「港のヨーコの流行った年に建てた建物が寿命を迎えた(耐用年数38.3年)」

  鑑定コラム1382)「住宅の平均耐用年数は36.2年(2014年)」

  鑑定コラム1537)「1977年に建てた木造住宅が寿命を迎えている」


 建築年が異なる多くの工場建物等の平均経年を求める方法については、下記の記事があります。

  鑑定コラム802)「WACC、CAPM、β」


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